「土屋主税」は忠臣蔵の外伝物であり、もともとは三代目瀬川如皐・三代目桜田治助合作『新臺いろは書初』の十一段目、通称「松浦の太鼓」です。これを明治40年に渡辺霞亭が初代中村鴈治郎のためにさらに書替えて「土屋主税」としました。「松浦の太鼓」と比べると、鴈治郎の芸風と当時の関西歌舞伎の傾向に合わせた派手な演出になっています。とにかく鴈治郎の魅力だけで成り立つような芝居です。大身旗本らしい品格、無邪気さ、そして赤穂義士への義侠心を十分に面白く演じなければなりません。
このあたりの事情は四代目鴈治郎も意識しているようで、インタビューでもかなり熱が入っています。
鴈治郎が語る、南座「吉例顔見世興行」(歌舞伎美人)
このなかで鴈治郎は「土屋主税」について次のように語っています。
自分は父(藤十郎、三代目鴈治郎)より、二世鴈治郎に近いのではと常々口にしている当代としては、襲名披露でぜひやっておきたいと考えていたのが『土屋主税(つちやちから)』です。「二代目は独特の感じでやっていました。真似はできないけれど、やっぱりそれらしくしたりするのかな。いい意味で“クサく”、さらっとはしていない、そういう芸だという気がします」。
「気持ちのいい役、というより、気持ちよくしないとだめでしょう。照れくさくやったりしたらいけません。これはやっぱり12月、顔見世でやらせていただきたいと思っていました」。
「いい意味で“クサく”」というのは正しい解釈です。クサさこそ、上手さにつながるものです。このあたりの機微が、東京と異なる関西歌舞伎の魅力です。四代目鴈治郎は、翫雀時代に何度も「土屋主税」を演じており、私も何度か見ていますが、どれだけ成長した芝居を見せるのか、じつに楽しみ。また、今回は大高源吾を仁左衛門が付き合いますが、この組み合わせも楽しみ。仁左衛門を向こうに回して、鴈治郎の土屋主税が、どんな存在感を示してくれるのか興味が尽きません。