2015年11月22日
喜多村緑郎の名跡が復活-市川月乃助が新派に移籍、二代目襲名へ
しばらくイタリア・ミラノに出張していたのですが、その間にビックリするニュースが入ってきました。市川月乃助が2016年1月の三越劇場「新春新派公演」で正式に劇団新派に入団し、二代目喜多村緑郎を襲名するそうです。
月乃助が劇団新派入団、喜多村緑郎襲名へ(歌舞伎美人)
まず月乃助が新派に移籍するというのも驚きですが、喜多村緑郎を襲名するというのは、まったくの意外でした。ただ、すこし落ち着いて考えてみれば、月乃助にとっても、新派にとっても、これはこれで面白い転出なのかもしれません。
月乃助については、段治郎時代からよく見てます。澤瀉屋一門のホープでしたが、ここ数年はなかなか役に恵まれず、すっかり印象が薄くなっていたのも事実です。門閥外から歌舞伎の世界に入っただけに、澤瀉屋が代替わりするなかで、その立場が微妙になっていたのかもしれません。もともとスッキリとした二枚目の立役が本領ですが、いまの澤瀉屋一門では脇に甘んじるしかありませんでした。
そしてここ数年、たびたび新派に客演していたのですが、こちらの評価は非常に高かった。月乃助の芸風というのは、古典歌舞伎をやるには薄味だけれども、新劇ではコッテリしすぎている。その塩梅が、ちょうど新派に合うような気がしました。その上、現在の新派には看板となる二枚目が不在ですから、新派ファンの間では「月乃助が新派に入ってくれるといいのに」という声が上がっていたほどです。
そして今回、本当に月乃助が新派に移籍することになったわけで、月乃助自身も熟慮を重ねたことでしょう。公式サイトを見ると丁寧な挨拶文がアップされていました。
《劇団新派入団のご挨拶》(市川月乃助Official Site)
いろいろと見方もあると思いますが、まずは本人の決意を尊重したい。そして、新派ファンからすれば期待も大きいでしょう。月乃助が加入することで新派が本来は得意とした泉鏡花や川口松太郎の作品の二枚目を演じる人を得ることができるのですから。ぜひ新派の古典をやって欲しいと思う。
ところで、月乃助が襲名する喜多村緑郎といえば、現在の新派のイメージを決定づける演技と演出を生み出した女形の名人です。三宅周太郎や戸板康二の本を読んでも、その評価は絶大です。現在、その膨大な日記が翻刻され、新派名優喜多村緑郎日記として八木書店から刊行されています。昭和初期からの劇壇の状況や、さらに昭和モダニズム文化についての貴重な資料です(ただ、非常に高価な本なので個人で買うようなものではないかもしれません)。
個人的には、日本の芸談〈第5巻〉新派・新国劇・喜劇に収録されている「わが芸談」が印象深い。反旧劇である壮士芝居出身の新劇役者と違い、歌舞伎に対する圧倒的な思慕の情がにじみ出ているからです。ある意味で、歌舞伎役者以上に女形の芸とは何かを追求したのが喜多村緑郎の芸だったのかもしれません。伝統に守られていないだけに、その苦悩は並大抵ではなかったこともよくわかります。
月乃助が二代目喜多村緑郎を襲名することで、初代の芸が受け継がれるわけではないでしょう。ただ、月乃助がいまもって歌舞伎に対する未練を持っていることは、否定してはいけないと思う。ある意味で、そういった歌舞伎に対する執着こそ、喜多村緑郎の名前に相応しいのかもしれないからです。
月乃助が新派に加わったことで、改めて新派の古典が見たいという気になりました。今後、ぜひ見に行きたいと思います。