2015年12月14日

読み応えのある座談会と十八代目勘三郎論-『歌舞伎 研究と批評』55号

歌舞伎学会から歌舞伎 55―研究と批評 特集:歌舞伎の戦後七十年 下が送られてきました。前にこのブログで紹介したように特集「歌舞伎の戦後七十年」が完結です。
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『歌舞伎 研究と批評』の特集「歌舞伎の戦後七十年」は一読の価値あり

特集の締めくくりとして、上村以和於氏、石橋健一郎氏、児玉竜一氏、神山彰氏による座談会「戦後歌舞伎の七十年」が掲載されており、まだ流し読みしただけですが、非常に読み応えがありました。そしてもうひとつ心を打った論稿が、三浦広平氏による「中村屋スピリットの二十年」です。いまでも早すぎた死を思うと胸がつまる十八代目勘三郎を戦後歌舞伎の歴史にしっかりと位置付けようとする良い批評です。

座談会は「なぜ、演劇はマイナージャンルになったのか」という問題設定から始まるように、一種の演劇・歌舞伎滅亡論の趣があります。歌舞伎は現在でも非常に人気があるように思われているのですが、かつてのの歌舞伎とは明らかに変質しており、それは観客の変質と同時に起こっているという問題意識が非常にシビアな座談会でした。例えば、いま熱心に歌舞伎を見ている人は、意外と観劇歴が薄いといった指摘はドキッとします。ようするに役者も観客も過去の遺産に対する蓄積がなくなってきているのです。だから、歌舞伎を支える大切な要素である「過去への郷愁」というものがもなくなってしまった。戦後期に歌舞伎滅亡論が議論されていた時代は、じつはまだ歌舞伎が実態として存在していたけれども、「結構な伝統芸能」となってしまった現在は、かえって歌舞伎がすでに滅亡していしまっているのではないかという思いすら抱いてしまします。

そういった危機感を新たにした上で三浦氏の十八代目勘三郎論を読むと、また別の感慨を抱きます。いまから考えると、勘三郎のある種の過激さは、すでに失われてしまった「歌舞伎の観客」を取り戻そうとする苦闘の表れだったのかもしれません。「時代の寵児であるがゆえに、時代との仲介役となろうとするあまり、時代に絡め取られてしまったとの思いを、今となっては、どうしても禁じ得ない」という三浦氏の言葉はグッときます。そんな勘三郎が、苦悩と闘病の果てに見つけたのが「古典回帰」であり、しかし、それを十分に演じる時間もなく逝ってしまった勘三郎と、その「中村屋スピリッツ」を受け継ごうとうする勘九郎たちへの今後への期待に筆致が及ぶところで、不覚にも胸が詰まってしまいました。たしかに歌舞伎は滅亡しているのかもしれませんが、こういったところから新しい歴史の再生があるのかもしれません。そんな希望も抱かせてくれる読後感でした。
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