2017年3月5日

むかし見た芝居6―初芝居感談(2006年1月大阪松竹座「壽初春大歌舞伎」夜の部)



最近は忙しさにかまけて芝居見物もすっかりご無沙汰です。そんなときに昔見た芝居のノートを読み直すと、いちばん芝居に熱中していた20代後半から30代初めの頃の情熱を思い出し、久しぶりに芝居を見に行きたいという気になります。今回紹介するのは2006年1月の大阪松竹座「壽初春大歌舞伎」夜の部の観劇ノート。改めて思い返すと、仁左衛門と玉三郎というゴールデンコンビの芝居を見たことは自分の観劇歴の財産。そして愛之助が全国的に注目されるきっかけも、この芝居だったと思う。同時に、あの頃は澤瀉屋のホープとして活躍していた段治郎や春猿が、今では新派へと転向したこと、竹三郎の後継者だった薪車が、今では市川九團治となっていることもまた歌舞伎界の変転を見る思いです。あと、この頃の私は「大坂の芝居とは何か」ということに異常なこだわりを持っていて、それを型の分析や声の質に対する批評で考えようとしていました。若気の至りでもありますが、やはり今でも「大坂の芝居とは何か」ということへのこだわりを持ち続けています。

初芝居感談―大阪松竹座「壽初春大歌舞伎」夜の部


芝居見物というのは、時間的にも金銭的にも出が大きいもので、それだけに、正月早々の初芝居には、何ともいえないめでたさがあるものだ。そう思いながら、松竹座に行ってきた。

松竹座の「壽初春大歌舞伎」は、仁左衛門・玉三郎一座。つまり、かつての孝玉コンビが久しぶりに復活したというわけだ。演目も渋く、昼の部が『十六夜清心』の通し、夜の部が『仮名手本忠臣蔵』を「落人」から「五段目」「六段目」である。特に『十六夜清心』の通しは、関西初ということなので、相当に話題にもなっていた。ただ、私は別に演劇評論家でもないので、正月から黙阿弥の皮肉な世界に浸る気にはどうしてもなれず、やはり丸本物でグッときたいという誘惑に負けて、夜の部を見てきたのである。

大阪松竹座は、そのモダンな外観と改築後のよく整備された内装によって、関西の歌舞伎の新しい本拠となる劇場であるが、三階ロビーに展示された関西歌舞伎物故俳優の写真プレートを眼にすると、なかなか感動的である。もちろん東京の歌舞伎座のそれには敵わないが、それでも初代右團次や初代鴈治郎、あるいは二代目延若や二代目鴈治郎といった大立者、あるいは霞仙、梅玉、魁車といった名前と、いかにも大時代の役者然とした面構えを見ると、やはりここも一言では言い尽くせぬ伝統の上にたっているのだなとの思いを強くする。

さて、夜の部の初めは、『神霊矢口渡』。お舟は孝太郎が初役で挑む。この狂言の選択は、なかなか興味深い。というのも、『矢口渡』といえば、紀伊国屋の家の芸として有名だが、一方で松嶋屋にとっては十四代目仁左衛門すなわち我童が、このお舟を持ち役にしていた。なるほど、若女形として進境著しい孝太郎には有意義な挑戦である。

その孝太郎のお舟であるが、序盤はやや苦しかった。まず、新田義峯との見初めから傾城うてなへの面当て、義峯へのクドキと一応手順はふんでいるのだが、いかんせんまだ型をなぞるだけに終始している。だからどの場面も、唐突な印象を受けてしまう。今後の課題だろう。

一方、大活躍は弥十郎の頓兵衛。まずその姿がなんとも古怪。いかにも強欲の塊という風がよく出ている。だから、草叢からの出で一気に観客の視線を独り占めだ。自分の家に侵入するのに、戸が締まっているからといって壁をぶち破って入るなど、いかにも荒唐無稽な展開がいっこうに不自然でなかった。つまり、それほどに無茶苦茶をしそうな頓兵衛なのである。

義峯と思って床下から突刺したのが、実はお舟だと分ってからも、まるで悪びれず、ますますエンジン全開。おかげで、それと絡む孝太郎までが生きてきた。この二人の修羅場は大盛り上がりだ。見せ場の蜘手蛸手の引っ込みもグロテスクな、それでいて可笑しな風がよく出ていた。こんな無茶苦茶な親父にそれこそ無茶苦茶にされるわけだから、孝太郎のお舟の可憐さとの対照で、後半の手負事が生きたと思う。

終盤のお舟が太鼓を叩き、頓兵衛が舟で義峯を追うところは、廻り舞台を活用しての一種のスペクタクルだが、ここでも頓兵衛が漕ぐ舟の船足が早い早い。まったく人間離れした、凄い頓兵衛である。

春猿の傾城うてなは、姿は悪くないが最上級の遊女である傾城ということを考えれば、やや貫目が足りない。その一方で、薪車の新田義峯が、口跡にやや拙さがあるが、貴公子然とした気品があり、位取りの確かさに驚いた。期待の若手である。下男六蔵は猿弥。

ともかく、弥十郎大活躍の『矢口渡』であった。

さていよいよ『忠臣蔵』である。まず「落人」。幕が明き、浅黄幕が切って落とされると、舞台の中心が本当にパッと明るくなるような感覚に襲われた。それほどに仁左衛門、玉三郎の姿が素晴らしい。踊りのほうも息が合っており、とにかく美男美女のカップルを見せるという曲の趣旨に適っている。衣装も工夫されており、お軽はいつもの矢絣ではなく御守殿模様振袖で艶やか。

ここでの御手柄は、猿弥の鷺坂伴内。とにかくこの伴内という人物は、ある意味で「忠臣蔵」いちばんの人気者である。その伴内を、猿弥が実に可笑しく、小手を利かして演じた。そして、伴内・花四天と勘平の所作殺陣も実に楽しい(私は立ち回りが大好きなのだ)。とにかく猿弥の芸達者ぶりがよく分った。勘平にやられたあとも、いったん下手に引っ込んだかと思うと、幕切れ間際にまた出てきて、やっぱりやられる。おまけに引かれる幕に終われるような形で引っ込むといった手の込みようで、何ともおかしい。これで小屋中が一気に盛り上がった。

仁左衛門の勘平は、諸脱ぎになってからの緋の襦袢が眩しい。そして終盤、玉三郎のお軽が勘平の身拵えを手伝うところなどは、完全に夫婦の情愛が出ていた。これは大事なことだと思う。なにしろ、この舞踊の本外題は「道行旅路の花婿」なのだから、勘平・お軽が、最終的には夫婦に見えなければ、意味がないと思う。いずれにしても、これから始まる悲劇への序曲として、よい舞台であったと思う。

いよいよ「五段目」「六段目」である。この段は、上方の型と江戸の型では劇の本質、主題が大きく異なるところであるが、今回は五代目菊五郎が完成した音羽屋型での上演だ。松嶋屋は伝統的に音羽屋型で演じてきたから、不自然ではない(ちなみに、この辺に松嶋屋が単に上方の役者の名ではなく、三都で活躍する役者の名であることがわかる)。

「鉄砲渡しの場」、ここは二枚目勘平のいい姿を様式的に見せる場。仁左衛門は、それをさらりとこなす。さすがである。段治郎の千崎弥五郎はセリフが一本調子。もっと工夫が欲しい。

舞台が回って「二つ玉」。「五段目」の見せ場である。まず寿猿の与市兵衛、いかにも弱々しい貧乏百姓の親爺だ。ベテラン脇役の味である。

やがて掛稲からぬうっと白い腕が出る。愛之助の斧定九郎である。これが素晴らしい。仲蔵型の黒の着付け姿、恰好がよい。悪の華の香り満点である。そして財布を持って「五十両」の台詞、これに感動した。いつもの愛之助の声ではない。もっと力のこもった、ドスをきかした、濁った声である。なぜ濁った声に感動するのか。それが「大阪の声」だったからである。関西人以外の人の方がよくわかるだろうが、大阪の人間は、普段は十人十色の声をしているのに喧嘩や議論の際には必ず濁った声になる(これは谷崎潤一郎が指摘していた)。そういう「大阪の声」を愛之助が極自然に出した。やはり愛之助は関西の役者だということを、実感をもって理解できたことが嬉しかったのである。

猪の出の後、いよいよ仁左衛門の勘平登場だが、なぜだか鉄砲の音が一発しかない。これは疑問だ。「二つ玉」は、上方の型では「二つ玉の剛薬」を、鉄砲二発分の火薬と解釈して一発だが、音羽屋型では文字通り二発打つと解釈する。そして、花道七三での二発目に台尻を地に衝いて足を開いて決まる。これが見せ場のはずである。せっかく音羽屋型でやるなら、ここはじっくり見せるべきだろう。

それ以外は完全な音羽屋型。だから火縄を消すのも下手松で、山刀で定九郎の死骸を打ったあと、人だと気づいて「こりゃ、ひ」で口を被い、「と」は呑み込む。その他、さすがに洗練された菊五郎型である。勘平の一挙手一投足が様式的に展開されるが、それをいかにも爽やかに演じる仁左衛門の実力が素晴らしかった。

「六段目」、与一兵衛宅は当然平舞台である。ここでまず驚いたのは笑三郎の一文字屋お才。どうということはないのだが、松之助の判人源六とのやりとりで源六が指差すお軽を見て一言「エエこやな」。その声の婀娜っぽさ、いかにも手練手管の置屋の女将といった風で、感心した。

仁左衛門の勘平は、花道での「狩人の女房がお駕籠でも」の台詞から、いかにも音羽屋型のすっきりとした江戸前の勘平である(ただし、台詞は全部関西弁だ。このへんが、松嶋屋の工夫)。紋服に着替えてから、その姿の良さが更に増す。縞の財布を確かめる所も絵になっている。この形は、役者の姿がよくないとうまくゆかない難しい形であるが、難無くこなす所がさすが仁左衛門だ。

玉三郎のお軽は「腰元の心持ちで」という口伝どおり、清楚で、行儀の良いお軽である。決して前に出ないところがさすがだ。その二人が背中合わせになっての別れの場、いやおうなく盛り上がる。何とも悲劇的だった。

ここで大車輪は竹三郎の母おかや。どちらかと言うと形容本位の音羽屋型の中で、この人だけが濃厚に上方の味を出す大熱演である。実にコッテリとした演技で、そこに絡む仁左衛門の勘平の苦悩が、クローズアップされることになる。

そのおかやに責められて俯臥す仁左衛門の勘平は、平舞台の効果もあって、実に絵になっている。茣蓙を巻くまでの手順、一寸の狂いも無く、まったく不自然さがない。勘平の恐怖、後悔、苦悩がよく出ていた。

二人侍が出てから、勘平の切腹。もう実に悲劇である。「色に耽ったばっかりに」の台詞にも、勘平の後悔と無念がリアルに感じられた。

ところで、肝心の勘平切腹の後、与一兵衛の死骸を確かめた二人侍が勘平に「早まったな」の台詞に、一階客席の一部から笑い声が漏れた。なぜ笑う。ここは泣く所ではないか。怪しからんの一言。

他の脇役にも触れよう。松之助の源六は愛嬌たっぷり。特に勘平・お軽の別れに割って入るところなど、タイミングが絶妙であった。さすが仁左衛門の側近中の側近である。弥十郎の不破数右衛門は貫禄充分。段治郎の千崎弥五郎はあいかわらず台詞が一本調子。なぜこの人はいつも台詞が喧嘩腰なのだろか。不審である。

劇の終盤、おかやが問題の五十両を差し出す所で、この家庭悲劇の根源を見た気がした。忠義という「理想」の背後にある金銭という「現実」。ここから南北の世界まではあと一息である。やはり色々な意味で「忠臣蔵」は、胸にグッとくる。

大切は「春調娘七草」。猿弥の曽我五郎、段治郎の曽我十郎、春猿の静御前である。いかにも正月らしい祝の舞踊である。縁起ものであるから、批評はするまい。とにかく楽しい気分で劇場を後にできた。
(大阪松竹座、2006年1月3日所見。1月9日執筆)
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