2015年7月17日
科学的歌舞伎批評はここから始まった-『観劇偶評』
歌舞伎の型について勉強する場合、絶対によんでおかないといけない本というものがあります。三木竹二の観劇偶評(岩波文庫)は、その第一冊目に必ず挙がる本といえるでしょう。現在、私たちが読んでいるような劇評の叙述の基本形を作ったとも言えますし、なにより科学的な歌舞伎批評のスタイルを日本で初めて実践したのが三木竹二の劇評でした。三木竹二の劇評を読むと、明治の名優たちの演技が甦ります。
三木竹二は本名、森篤次郎。森鷗外の弟です。本業は兄と同じく医師でしたが、帝国大学医科大学在学中から『しがらみ草紙』や『読売新聞』に劇評を書き、後に雑誌『歌舞伎新報』や『歌舞伎』の編集にも携わります。観劇偶評(岩波文庫)は、兄・鷗外との共著である『月草』所収のものを中心に、三木竹二の劇評を集成したものです。『月草』自体が非常な稀覯本でしたから、三木竹二の劇評が文庫化されているなどはすごいことです。
三木竹二が登場するまで、劇評の多くは江戸時代以来の評判記の形式をとっていました。そこでは“見巧者”と呼ばれる観劇のベテランが芸の巧拙を批評しているのですが、主観的な印象批評の域に止まったものが多かった。そこの三木竹二の劇評が登場し、歌舞伎批評の方法論に画期を呼び起こします。三木竹二は、客観的に型の叙述を行ったのです。それはまるで医者が病理観察をするような手際でした。このとき初めて、歌舞伎批評に科学的手法が導入されたということができるでしょう。
科学的歌舞伎批評はここから始まったわけですが、三木竹二が型の記録を残しておいてくれたおかげで、今日の私たちは明治の名優たちの演技の一端を知ることができます。歌舞伎ファンだけでなく、後世の歌舞伎役者たちも三木竹二の残した記録を参考にすることで芸の勉強を進めたそうです。そういう意味でも演劇史上に残る研究だったのです。
実際に本書を読むと、じつに楽しい気分になります。九代目團十郎や五代目菊五郎など歴史的名優だけでなく、五代目市川新蔵や二代目中村雀右衛門、四代目尾上松助など知る人ぞ知る役者たちの演技も克明に記録されていて、どこを読んでもまったく飽きません。それに、意外と辛口の批評が多いのも面白い。
そんなわけで、いつも座右に置いてパラパラと気の向いたページを読むだけで明治時代の芝居を味わうような感覚にしてくれる楽しい本でもあるのです。