大阪歴史博物館で特別企画展「初世中村鴈治郎‐上方歌舞伎の巨星‐」が始まりました。じつは大阪歴史博物館には初代鴈治郎の贔屓だった今中富之助氏が蒐集した資料が「今中コレクション」として所蔵されており、おそらく日本でもっとも初代鴈治郎関連の資料を保管する博物館なのです。仕事の関係で一足先に見てきましたが、初代鴈治郎に関する錦絵、写真、舞台衣装、小道具などゆかり品を通じて鴈治郎の芸と人を知る特別展となっています。
今年は初代鴈治郎没後80年の節目の年だそうです。初代鴈治郎の人気というのは、それは伝説的なもので、大阪三大名物として「城、おこし、がんじろはん」といわれたり、昭和10年に死去した際には新聞が号外を発表したほどです。正岡容は鴈治郎死すの報に接して、前年死去した初代桂春團治と室戸台風で倒壊した四天王寺の五重塔と合わせ「春團治と鴈治郞と天王寺の搭と。大阪の三大名物、こゝに氓びたと私はおもつた」と記したほどです。今回の展示を見ても、とにかく鴈治郎の人気はすごいものがあるということがよくわかります。死去の3カ月後には、すでに追悼展が百貨店で開催されていたというのですから、とにかく大阪の芝居ファンは、いつまでも鴈治郎を見ていたくて仕方がなかったのです。
今回の展示で、とくにユニークだと思ったのは、鴈治郎が出演した映画「鳰の浮巣」(明治33年撮影)の映像でした。おそらく日本で現存する最古の映画フィルムのひとつでしょうが、わずか2分程度の映像で全盛期の動く鴈治郎(当時40代)を見ることができたことに衝撃を受けています。そして、この短い映像を見ただけで、私は鴈治郎の魅力的な芸風を実感として理解することができました。じつに爽やかな二枚目でありながら、コミカルで、それでいて一切の下品さというものがない。「ああ、がんじろはんなら、なにをやってもおもしろかったのだろうな」という実感を抱くのの十分でした。
これを愛嬌と言ってしまえば簡単ですが、それだけでは済まないものを感じました。それは、鴈治郎とファンの距離感です。鴈治郎は、どれだけ人気者になっても、どこかでファンと同じ世界に住んでいるという実感を抱かせます。なぜだかわからないけれども、これはまるで別世界の住人として憧れの対象となるような役者の人気とは違うような気がする。たぶんそこに、当時のファンたちが「がんじろはんを見に行く」「がんじろはんに会いに行く」といって劇場に足を運んだ感覚の正体があるような気がしました。これは、大阪の人気者に共通する感覚です(ちなみに、鴈治郎の後に大阪のファンにそのような感覚を抱かせたスターは藤山寛美と横山やすしでしょう)。
現在、鴈治郎の芸風というのは事実上、絶えしまっています。二代目鴈治郎には一部が受け継がれていましたが、三代目鴈治郎の芸風というのは、彼一代のものでしょう。かろうじて中村玉緒さんが初代鴈治郎の芸風を今に伝えていると個人的には思っています。四代目鴈治郎がどうなるのかはまだわかりません。そんなときだからこそ、初代鴈治郎とは何だったのかを考える上でも今回の展覧会は非常に勉強になりました。会期は8月23日まで。