2015年7月26日
体験的上方歌舞伎論-『上方歌舞伎の風景』『戦後の関西歌舞伎』
上方歌舞伎や関西歌舞伎という言葉は残っていますが、じつは実態としてはほとんど滅んでしまっているいるということを知っている若い歌舞伎ファンは多くありません。私自身も、上方歌舞伎あるいは関西歌舞伎なるものが存在したということは書物の上でしか知らないわけです。すでに滅んでしまった関西歌舞伎の最終局面を体験的に綴っているのが、権藤芳一氏の上方歌舞伎の風景と、島津忠夫氏の戦後の関西歌舞伎―私の劇評ノートからです。いずれも貴重な体験的上方歌舞伎・関西歌舞伎論であり、初めて読んだときには非常な衝撃を受けました。私が上方歌舞伎あるいは関西歌舞伎ということを強烈に意識するようになったのは、この2冊を読んでからです。
権藤氏は武智鐵二門下であり、現在の劇評壇では最長老ともいえる人です。権藤氏の歴史認識は厳しく、上方歌舞伎なるものは現在、すでに実態を失っているという観点から戦後の関西歌舞伎史を分析しています。その原因は本書の巻頭論考である「上方歌舞伎の衰退―その原因についてに一考察―」でほぼ論理的な回答はでているといえるでしょう。元来、上方では歌舞伎を伝統芸能として保存・継承しようという意識が希薄だったことが根本的な要因なのです。もともと歌舞伎が伝統芸能として再構成される要素が希薄だった大阪ですから、そこに初代鴈治郎と二代目延若、そして白井松次郎といった個人的な力量で上方歌舞伎を支えてきた人が亡くなると、一気に瓦解してしまうという顛末は衝撃的です。そういう論理的背景を踏まえたうえで、雑誌『幕間』や二代目鴈治郎の役者廃業宣言、山口廣一による「七人の会」、武智歌舞伎といった戦後の関西歌舞伎界を彩る事件が体験的に綴られる様は圧巻。とくに十三代目仁左衛門による仁左衛門歌舞伎についての記述は感動的ですらあります。
結局、大阪では歌舞伎は娯楽の一種でしかなく、東京のようにそれを教養として受容する人が少ない。それが関西歌舞伎衰退の根本的な要因だということがよくわかります。また、役者もそういった観衆に安易に迎合したことが問題だった。そいう大阪の大衆が持つ即物性というか、現実感覚というのは、私自身も実感としてよくわかります。だから当代の仁左衛門や坂田藤十郎(三代目鴈治郎)の関西に対する独特の距離感の取り方というのは、そういう関西の歌舞伎ファンの持つ気質に対する警戒感なのだということがだんだんと分かってきました。だから私は、関西で歌舞伎が盛んになるためには、まずはファンが「もっと勉強する」ことが必要だといつも思っています。東京のスノビズムは行き過ぎだけれども、反知性主義では伝統芸能は保存できないのです。
そういったことをやはり実感として教えてくれるのが島津氏の本です。島津氏は中世文学研究の泰斗として知られる国文学者ですが、この本は島津氏が記録した若き日の観劇ノートなのです。昭和20年代から30年代にかけての上演された芝居の様子をリアルタイムで伝える内容は貴重であり、読んでいてまったく飽きません。とくに五代目上村吉弥など老練の脇役役者たちにつねに視線を注ぐ姿勢は本書の魅力です。ページが進むごとに関西歌舞伎崩壊の足音が強まっていくなか、当時はまだ一歌舞伎ファンにすぎない学生の著者が真剣に問題点を指摘し、対策を提案している姿も印象的。当時の歌舞伎ファンの中に、こういった知的な姿勢で歌舞伎に接する人がもっと多ければ、関西歌舞伎の歴史も変わっていたのだと思わずにはいられません。これもまた重要な体験的上方歌舞伎論なのです。