2016年5月30日

喪失感を贖うための誄―『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』



中村勘三郎が逝って、それからわずか1年半後に坂東三津五郎が亡くなってしまったときの喪失感がいまだに消えません。自分の時代の歌舞伎というものが、永遠に失われてしまったように思えたからです。長谷川浩氏の天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎 (文春新書)もまた、そんな喪失感を贖うための誄といえるい本です。在りし日の二人を追慕する文章は、二人にとっての歌舞伎とは何だったのかということを激しく問う。それは、私にとっても歌舞伎とは何かといことを問う。しかし、在りし日の二人を思い出し、批評の言葉が浮かばないのです。

本書は勘三郎の死から描かれていますが、勘三郎の葬儀で三津五郎の「肉体の藝術ってつらいね。そのすべてが消えちゃうんだもの」という弔辞の言葉が引用されたところで、しばらく続きを読むことができませんでした。勘三郎の芸術が失われ、そういった三津五郎の芸術も永遠に地上から消え失せてしまったのかと思うと、やっぱり自分にとっての歌舞伎も失われてしまったかのような感慨に囚われてしまったからです。

しかし、そういった喪失感こそ、著者が本書を書いた理由でもあるのでしょう。久しく二人と交流し、劇評家として育ててもらったという著者の自負が、すでに失われてしまった二人の芸術の痕跡を「記録」するために、二人の年代記を記している。抑えた筆致は、できるだけ客観的な記録を残そうとする意思を感じさせるのですが、ときに感情があふれ出す文章は「記録」もまた喪失感を贖うための誄であるからです。

歌舞伎というのは伝統芸能であると同時に、現代芸術でもあります。そのことを敏感に感じ取っていたのが勘三郎と三津五郎でした。二人の来歴というのは、歌舞伎の伝統をしっかりと現代に受け継がせることだったということがよくわかります。それは伝統を伝統として「保存」することではありません。伝統を現在に「生きた状態で存在させる」ということです。そのアプローチが、二人ではまったく異なった。勘三郎は現在から伝統へと至る道を歩み、三津五郎は伝統が自然と現代につながる道を歩んだように感じます。歩む道は異なれど、目指すものが同じだったからこそ、二人だけが互いを理解できた。

二人は同志だったけれども、しかし譲れないものもあった。著者が三津五郎に「なんで三津五郎さんは平成中村座に出ないの」と聞いたときに、三津五郎は「それは守田座の座元の家に生まれた意地ですよ」と、とりつくしまもないほどに淡々と答えたところが、著者が失礼なことを聞いてしまったと激しく後悔しているように、読むものもハッとさせる。二人は名門の家に生まれたわけですが、だからこそあえて厳しい道を歩んだのです。

しかし、そういったことが分かれば分かるほど、二人が逝ってしまった喪失感が大きくなります。はたして誰が二人の芸術を受け継ぐことができるのか。その意味では勘三郎が晩年に若手の芝居を激しく批判し「ましなのは少数の何人か、(残りは)歌舞伎になっていない」と指摘した意味は大きすぎる。本書で指摘されているように、勘三郎と三津五郎は二代目松緑から歌舞伎の芸を受け継ぐことができた。でも、いまの若手は、もう勘三郎と三津五郎から教えを受けることができないのです。

本書の最後の方には、二人の芸を受け継ぐべき人たちの名前が登場します。それは、喪失の中にあるわずかばかりの希望でしょう。しかし、残された人は、二人以上に厳しい道を歩まなければなりません。勘三郎や三津五郎以上に勉強しなければ、二人が現代に残そうとした歌舞伎の伝統を回復させることは不可能だからです。そしてそれは、歌舞伎を見る私たちにも同様に課せられたさだめとなりました。私たちはすでに伝統が失われてしまった芝居しか見ることができないのですから。だから、つねに「歌舞伎とは何か」という勉強をしなければならないのです。そのためのヒントもまた、本書に記された勘三郎と三津五郎の「記録」から読みといていくしかないのでしょう。
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