2019年12月15日
日本国憲法を読む團十郎
いよいよ2020年5月に十一代目市川海老蔵が十三代目として市川團十郎を襲名する。ここ数年、いろいろなことがあった成田屋ですが、ひとつの区切りとなる慶事でしょう。十三代目團十郎にはますます頑張って欲しいと贔屓の1人として強く願わずにはいられません。それと同時に、いまは亡き十二代目團十郎のことを思い出し、本棚から『團十郎の歌舞伎案内』を引っ張り出して眺めてしましました。十二代目團十郎は梨園でも屈指の知性派でした。彼が持つリベラルアーツで忘れられない思い出があります。晩年、入院中にもかかわらず自分のウェブサイトで「入院日記」というエッセイを律儀に発表していました。以下の文章は、2005年に旧ブログに掲載したものに加筆したもです。
2019年12月14日
大阪の役者たち―「日英交流・大坂歌舞伎展」図録
本棚の整理をしていたら、2005年に大阪歴史博物館で開催された「日英交流・大坂歌舞伎展」(主催:大英博物館・早稲田大学坪内逍遥記念演劇博物館・大阪歴史博物館)の図録が出てきました。学術的にも価値のある1冊ですが、やはり眺めているだけでも楽しい。江戸時代の大阪の庶民が役者という存在をどのようにとらえていたのかもよくわかります。そして、いまではすっかりマイナーになってしまった大阪の役者たちの歴史的位置も明確にする展覧会だったことを思い出します。以下の文章は以前にやっていた旧ブログに書いた感想です。
2019年12月13日
中村鴈治郎讃
大阪の歌舞伎ファンにとっては、やはり中村鴈治郎という名前は特別な響きを持ちます。現在は四代目が活躍中ですが、かつて三代目が坂田藤十郎を襲名したときに一時的にですが鴈治郎の名前が番付から消えたことがあります。やはりそれは寂しいことでした。その時の気持ちを書いた文章が旧ブログに残っていたので、加筆して転載しておきます。
2019年12月11日
むかし見た芝居10―関西歌舞伎の2008年上半期のノート
私がフリーター生活を終えてフルタイムで働き始めたのが2006年です。やはり少しずつ観劇のペースが落ちていき、最近はすっかりご無沙汰になっています。それでも昔の観劇ノートを読み返すと、忙しい中でも時間を作って芝居見物に行っていたことを思い出し、また芝居が観たくなるのでした。歌舞伎観劇ノートのブログを再開したのもそれが理由です。そして旧ブログに掲載した最後の観劇ノートは、やはり関西歌舞伎についてのです。
2019年12月10日
むかし見た芝居9―泣かせる芝居(2007年12月南座「吉例顔見世興行」)
若い頃は1日で昼の部と夜の部を通しで見るといったことを平気でやっていましたが、さすがいに30代に入るとそんな体力もなくなっていくのです。それでも両方を見たいときは日を変えて見に行くことも多かった。そんなころの思い出深い2007年12月の顔見世のノートです。中村錦之助の襲名興行でもありましたが、いまでは立派な中堅どころとなりました。
2019年12月9日
2019年12月8日
むかし見た芝居7―継承と新風(2006年4月大阪松竹座「浪花花形歌舞伎」第一部)
以前に歌舞伎観劇ノートをYahoo!ブログで書いていたのですが、このほどYahoo!ブログがサービス停止に。そこで引き続きこのブログにデータを引き継ぎます。今回は2006年に大阪松竹座で見た「浪花花形歌舞伎」。3部構成でしたが通しで見るなど、いちばん歌舞伎にハマっていたころの文章です。当時、花形と言われていた役者たちが、いまでの立派な中堅どころになっているのも感慨深いものがあります。
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