2019年12月11日

むかし見た芝居10―関西歌舞伎の2008年上半期のノート

私がフリーター生活を終えてフルタイムで働き始めたのが2006年です。やはり少しずつ観劇のペースが落ちていき、最近はすっかりご無沙汰になっています。それでも昔の観劇ノートを読み返すと、忙しい中でも時間を作って芝居見物に行っていたことを思い出し、また芝居が観たくなるのでした。歌舞伎観劇ノートのブログを再開したのもそれが理由です。そして旧ブログに掲載した最後の観劇ノートは、やはり関西歌舞伎についてのです。

今年見た芝居―関西歌舞伎の2008年上半期


最近は芝居を見ても、すっかり証文を出さずにほったらかし。そこで、今年見た芝居をまとめてメモしておく。

「寿初春大歌舞伎」昼の部

今年の初芝居は、翫雀・扇雀兄弟による「葛の葉」から始まった。「機屋の場」での早替りなどケレンが楽しい。だがそれ以上に扇雀の葛の葉が良かった。「子別れの場」で強烈な母性を感じさせる葛の葉姫である。障子への曲書きも無難にこなし、最後は宙乗りで引っ込むのも楽しい。翫雀の保名は、柔らかさの中に愛嬌がある。近年、翫雀・扇雀の舞台が、本当に面白くなってきた。竹三郎が信田庄司を勤める。甲高い声で一本調子のセリフ回しはこの人の芸風。庄司妻柵は鴈之助。

「佐々木高綱」は、岡本綺堂の新歌舞伎の名作。我當、進之介親子が高綱・定重親子を勤める。登場人物の心理的葛藤が複雑に絡み合う物語だが、やはり新歌舞伎は難しい。脚本にある近代主義と歌舞伎味をどうやって融合させるかが問われるからだ。我當、進之介ともに悪くはないが、個人的好みには合わなかった。ただ、馬飼子之介の吉弥が、素晴らしい演技力を見せていたのが印層的。この人は、立ち役も面白くなってきた。僧智山は弥十郎。

「芋掘長者」は、三津五郎の踊りに舌を巻く。やはり芋掘長者は、踊りの上手い人が、わざと下手に踊るというところに皮肉な面白さがある。最後の芋掘りの踊りも楽しい。

そして、最大の見ものは藤十郎と我當顔合わせの「沼津」だ。まず、二人とも上方の言葉をきちんと話せるのが嬉しい。「棒鼻の場」でのアドリブ芝居も盛り上がる。「平作住居の場」は、我當の平作、秀太郎のお米が熱演。とくにお米が印籠を盗んでから、平作がそれを問い詰める。暗闇でお米を叩く振りをして、自分を叩いて音を出すところなど胸にしみる。お米のクドキも見事。「千本松原の場」では、義太夫に乗って藤十郎の十兵衛、我當の平作が見事な動き。すっかり舞台に魅了されてしまった。(大阪松竹座、2008年1月3日所見)

「浪花花形歌舞伎」第二部

第五回目となった浪花花形歌舞伎は、第二部を見る。ご贔屓の亀鶴が濡髪の大役を勤めるのが楽しみ。しかも「角力場」から「難波裏」「引窓」とやるのが嬉しい。やっぱり芝居は出来るだけ通しに近い形で、筋がよくわかるようにしてほしい。

「角力場」で亀鶴の濡髪が登場。線の細さは仕方がないが、関取の言葉もまずます。姿形に爽快さがある。そして翫雀の山崎屋与五郎と放駒の二役がいい。与五郎のつっころばしもさることながら、放駒の町人気質が抜けきらない様が秀逸。なんともいえない愛嬌がある。本当に最近の翫雀は面白い。それと壱太郎の吾妻が目を引く。姿、科白とも非凡なものを感じさせた。「引窓」は竹三郎の母お幸が車輪の絶品。とくに自分の永代供養のためにコツコツ貯めた金で、濡髪の人相書きを売ってくれと言うところ、思わず涙がこぼれそうになる。そして受ける翫雀の南与兵衛も継母への想いを十分に演じる。ここに翫雀の人間味が溢れ、素晴らしい場面となった。亀鶴の濡髪は、動きの無いなかに、十分大きさを見せる。3人の親子の情愛が複雑に絡み合う舞台で、本当に胸を打たれた。(大阪松竹座、2008年4月12日所見)

「七月大歌舞伎」昼の部

「七月大歌舞伎」は、松緑、菊之助、孝太郎の「春調娘七草」から。なぜ七月に? もっと夏らしい演目があろうに。

「木村長門守」は、片岡十二集のひとつ。我當が家の芸に挑む。だが、いまの我當に木村長門守は気の毒。若々しく演じようとするが、どうしても動きが重い。いっそ、別の機会に進之介にやらせてみたい。一方、充分芝居を見せたのが家康の左團次。大御所としての貫禄あり、狸爺としての軽みあり。テレビでも活躍する左團次だが、そういった経験が新歌舞伎で十分に生かされているのがよく分る。

そして最大の見物が「先代萩」だ。しかも「花水橋」から「御殿」「床下」「対決」「刃傷」と半通しなのが嬉しい。まず「花水橋」、菊之助の足利頼兼。まず大身の大名に見えなければどうにもならないところに難しさがある。線の細さはいかんともしがたいが、華麗さは見事。

「御殿」は藤十郎の政岡と仁左衛門の八汐の顔合わせが嬉しい。飯炊が省略される変則の脚本は初心者向け。仁左衛門の八汐は、コッテリとした味わい。千松がなぶられるところ、鶴千代を上手屋台に隠す藤十郎いつもの型だ。そして政岡のクドキは圧巻の一言。一部観客に拍手する不心得者がいたが、政岡のクドキが進むと、自然と拍手は減り、すすり泣く声が増える。まさに熱演は拍手を止める。「床下」は、松緑の男之助が荒事味を見せた後で仁左衛門の仁木弾正が登場。面明りの演出も見事で、じつに古怪な味わい。花道の引っ込みを見事で、座頭役者の貫禄である。

その仁木弾正が「対決」になると、すっかり小物になってしまうのがこの狂言の不思議なところ。菊五郎の細川勝元は手に入った捌役。左團次の外記左衛門もいい。團蔵の山名宗全は小役人風。大江鬼貫をベテラン権一が勤めるのが嬉しい。愛之助の渡辺民部は颯爽としている。「刃傷」は仁左衛門の仁木弾正が魅せる。死ぬところもコッテリとしていて、仁左衛門自身が楽しんで演じているのがよく分った。(大阪松竹座、20087月26日所見)
(2008年8月31日執筆)

関連コンテンツ・ad