2019年12月14日

大阪の役者たち―「日英交流・大坂歌舞伎展」図録



本棚の整理をしていたら、2005年に大阪歴史博物館で開催された「日英交流・大坂歌舞伎展」(主催:大英博物館・早稲田大学坪内逍遥記念演劇博物館・大阪歴史博物館)の図録が出てきました。学術的にも価値のある1冊ですが、やはり眺めているだけでも楽しい。江戸時代の大阪の庶民が役者という存在をどのようにとらえていたのかもよくわかります。そして、いまではすっかりマイナーになってしまった大阪の役者たちの歴史的位置も明確にする展覧会だったことを思い出します。以下の文章は以前にやっていた旧ブログに書いた感想です。

「大坂歌舞伎展」を観に行く


大阪歴史博物館で開催されている「日英交流・大坂歌舞伎展」(主催:大英博物館・早稲田大学坪内逍遥記念演劇博物館・大阪歴史博物館)を見てきた。

江戸の役者絵は、既に多くの図版や展覧会で公開されているが、殊に上方の歌舞伎絵、役者絵をこれだけ大規模に公開する催しというのは、ちょっと近年例がないと思う。しかも、日本国内のみならず、広く海外のコレクションをこれだけ里帰りさせているのだから、一見の価値ある催しである。

さて、この展覧会を見て、何より面白いと思ったのが、役者を取り巻く贔屓連の存在だ。江戸の役者絵というのは、早くから出版資本が中心となって、その商品化を推し進めたが、上方はそれとは対照的に、素人の贔屓連が、出版の担い手になっている。彼らは自らが贔屓にする役者関連の絵本や番付、肉筆画などを切り抜いて、それを集めた「貼込帖」なる冊子を作り出すのである。つまり、いまで言う「ファン・ブック」のようなものだ。これなどはいかにも上方らしい文化風土を感じさせる。というのも、本来、上方の人間というのは、どこまでも自主独立の気風を持っているから、本当に欲しい物は、誰かが作ってくれるのを待つより先に、それを自分達で作ってしまうのである。

そして、こうして自主的に形成される役者への愛情は、当然ながら熱烈な贔屓と、ライバル心を燃え上がらせることになる。この展覧会の目玉である二世嵐吉三郎(俳名・璃寛)と三世中村歌右衛門(俳名・芝翫)の一大ライバル対決は、実に見物である。芝翫贔屓が「芝翫帖」と呼ばれる貼込帖を大量に作れば、狂言作者で璃寛贔屓だった西澤一鳳が璃寛中心の「西澤一鳳貼込帖」を編纂したりするわけである。

役者絵の上でも璃寛と芝翫は対照的だ。璃寛がどちらかと言うとすっきりとした二枚目で、風格漂う眼差しであるのに対して、芝翫はいかにもコッテリとした、アクの強そうな風貌である。芸風の上でも二人は対照的だったらしく、璃寛があくまで立役一辺倒だったのに対して、芝翫はまさに「兼ねる役者」であって、様々な役をこなしたという。また、璃寛が大坂に居座る一方、芝翫は三度まで江戸に下り、そこでも人気を博したのである。

これだけ対照的な二大スターのライバル関係であるから、当然、それぞれの贔屓連はヒートアップしたと思う。(こういうライバル対決で盛り上がるという気風は、関西ではつい最近まであって、例えば明治以降も初代中村鴈治郎と三代目片岡我當〈後、十一代目仁左衛門〉の新聞社を巻き込んでのライバル関係は有名である。)

璃寛はその後、吉三郎の名を甥に譲り、自らは初代嵐橘三郎を名乗る。その頃から、今度はこの二大スター、璃寛と芝翫を共演させようという気運が贔屓連の中に出てくるのである。そして遂に贔屓たちの懇願によって、璃寛と芝翫は和解し、共演に合意する。これもやはりファン主導というのが面白い。

ところがその直後、なんと璃寛が急折する。ここに上方の贔屓連の夢は儚く潰えたのであるが、その後も璃寛を惜しんで多くの「死絵」や追善摺物が作られるのである。

今回の展示品の中でも、この追善摺物は心を打つ。例えば「金橘楼璃寛像」という摺り物は、「涅槃図」のパロディで、涅槃に入る璃寛を中心に、贔屓や動物達が嘆き悲しんでいる構図である。また「初代嵐橘三郎追善乗込図」は、璃寛が冥土の芝居小屋に駕籠で乗込み、それを冥土の住民が「あの世」で璃寛の芝居が見られると大喜びしている構図である。

やはり歌舞伎は役者への信仰であると思う。かつて戸板康二もそう言ったし、三宅周太郎も「芝居は宗教」と言っていた。璃寛追善の諸作品を見て、私はあらためてそれを確認したのである。

さて、もう一方の雄、芝翫はその後、大坂歌舞伎の大御所として君臨する。彼はかつてのライバルである璃寛の後継者を援助し、同時に自分の後継者も育てていく。そして門弟に芝翫の名を譲ると、自らは俳名を梅玉と改めた。すなわち高砂屋の名跡「梅玉」の始まりがこれである。

今日、歌右衛門、芝翫、梅玉といった名跡は、全て東京の役者によって襲がれている。そして吉三郎、璃寛といった名跡は絶えた(橘三郎は、六世が脇役として活躍中)。大坂の歌舞伎ファンからすれば、やはりこれは寂しいと思う。しかし、やはりこれらは元々は上方の役者の名前なのである。それは誇っていいことだと思う。そして、今回の展覧会は、そういった思いを強くさせる意味で、貴重だったと思う。出来ることなら、東京の歌舞伎ファンにも、そのことを知ってもらいたいと思う。
(2005年10月26日執筆)

なお、図録は現在でも古書として流通しているので、Amazonなどでも買うことができます。

日英交流 大坂歌舞伎展 -上方役者絵と都市文化-公式図録

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