2019年12月9日

むかし見た芝居8―吉弥の充実(2006年6月「歌舞伎鑑賞教室」)



私が歌舞伎に熱中するきっかけになったのは、地方巡業の「歌舞伎鑑賞教室」からでした。とくに上村吉弥はお気に入りの役者です。そんな吉弥の良さが際立った思い出深い舞台の観劇ノートです。

吉弥の充実―平成18年度歌舞伎鑑賞教室


手元の資料を見ると、歌舞伎鑑賞教室が初めて実施されたのは昭和51年とある。つまり、今回で通算31回目の開催となるわけだが、まことに立派なことだと思う。鑑賞教室で初めて歌舞伎に触れたことがきっかけで歌舞伎愛好家となった人がいかに多いことか。かくいう私もそんな一人だ。

その鑑賞教室を初期から支えてきたのが先代仁左衛門であり、その遺志を受け継いでいるのが我當だ。松嶋屋親子、本当に立派だと思う。そして、この鑑賞教室から生まれたスターが、吉弥だろう。今回の舞台を見て、そう思った。

今回の鑑賞教室は、歌舞伎十八番の内「鳴神」。我當の鳴神上人、吉弥の雲の絶間姫というおなじみのコンビである。まず目を引くのは、吉弥の充実ぶりだ。花道の出からその姿の良さは申し分ない。最近の若手女形は、なんとなく現代的な造形(つまり、本物の娘っぽい)が多くなる中で、なんとも古風な容姿がいい。たぶん、関西の古い歌舞伎ファンの間で吉弥が評価される理由だろう。そして、今回の雲の絶間姫では、その古風さが生きている。まず、色気がありながら女性の生々しさがない。だから、鳴神上人との物語や、肝心の乳房に触れさせる場面で、下卑た印象がなくなるのである。

もう一つ、今回の吉弥のいい点は、師匠である我當を相手にして、妙な遠慮がなくなっていることだ。だから、知恵者である鳴神上人が姫の乳房に触れ、破戒の誘惑に懊悩するところで、その鳴神上人を上回る知恵と胆力を、やや世話にくだけた台詞回しで表現している。そして、注連縄を切るところで、充分に舞台の中心を占める演技を見せることができたと言えよう。いよいよ、吉弥も若手から中堅へと歩を進めつつある証拠といえる。

相手役が充実していることが、我當の鳴神上人をさらに面白い物にした。というのも、姫が登場するまでは、我當の持ち味である大きさが目を惹いたものの、やや動きが重く、緩慢な印象だった(おそらく私が所見した日が初日ということが関係していると思う)。ところが、姫とのやりとりになってから俄然、我當の動きがよくなっていく。とくに破戒の果てに姫と夫婦になろうとするあたりから、元気一杯。そして、荒れになってからの立ち回りも、上方役者では稀有な荒事味を持つ我當ならでわの面白さを発揮した。

ただ、立ち回りでは所化白雲坊にベテランの當十郎が脇を固めるものの、その他の所化たちの動きに連携をやや欠くところがあった。これは初日だからだろう。全体としては、非常にバランスのいい舞台だった。
(岸和田市立浪切ホール、2006年6月3日所見、8月20日執筆)

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