2015年6月28日

「鯉つかみ」補攷-滝窓志賀之助とは何者か

大阪松竹座六月花形歌舞伎の狂言「湧昇水鯉滝」、通称「鯉つかみ」は、勝諺蔵・奈河三津助作「新舞台清水群参」が元になっています。ただ、オリジナルの脚本は散逸してしまい、現在の脚本は2013年に明治座で片岡愛之助が復活させたときに片岡我當監修・水口一夫脚本として書き直されたものです。残された断片を元によくつじつまを合わせており、なかなか上手い脚本に仕上がっているのですが、わからない点がひとつ。そもそも主人公である滝窓志賀之助とは何者なのでしょうか。劇中では、実は釣家本家の御曹司、清若丸と説明されますが、とってつけたような設定で説得力がありません。
2015年6月25日

大阪的バカバカしさに耽溺する‐大阪松竹座六月花形歌舞伎

松竹座の六月花形歌舞伎を見てきました。愛之助による通し狂言「湧昇水鯉滝」、通称「鯉つかみ」です。鯉つかみといえば、初代市川右團次(斎入)が工夫した大阪らしい夏の狂言ですが、脚本を再検討して通し狂言として復活しました。愛之助による十二役早替わり、本水を使っての立ち回りとケレン味あふれる舞台でして、いかにも大阪的バカバカしさ満載でした。そんなバカバカしさを耽溺してしまいました。

 
2015年6月21日

のんきな本‐食満南北『作者部屋から』



食満南北といっても、普通の人は誰も知らないでしょう。泉州堺の生まれで、若い頃から芝居にのめり込み、遂には福地櫻痴の門下となり狂言作者となった人です。のちに十一代目片岡仁左衛門の下で筆をふるい、さらに転じて初代中村鴈治郎の座付き作者となるという、いわば明治大正の上方歌舞伎を実地に潜ってきた人といえます。その南北の主著が芝居随想 作者部屋から (ウェッジ文庫)です(よくこんなマニアックな本が文庫化されていたものだと感心します)。
2015年6月19日

歌舞伎と「不安」‐青木繁『若き小団次』


四代目市川小団次といえば、歌舞伎史の中で特異な位置を占める名人です。歌舞伎界、とくに江戸においては、その門閥支配は強固で、門閥なくして座頭の地位を占めることは、どのような人気者であろうと基本的に不可能でした。そんななかで、ほとんど伝説的に語られるのは初代中村仲蔵と、この四代目市川小団次です。江戸歌舞伎史上、門閥なくして座頭の地位に上り詰めたのは、この二人だけ。その四代目小団次の若き日の修行時代を活写した評伝が青木繁氏の若き小団次―幕末を彩った名優の修業時代(第三書館、1980年6月)です。(写真は家蔵本)
2015年6月16日

鴈治郎は鴈治郎‐中村鴈治郎(藤田洋編)『鴈治郎の歳月』



当代の中村鴈治郎は、どうも父である三代目鴈治郎(現・坂田藤十郎)よりも祖父である二代目鴈治郎を目標としているようだ。当代の鴈治郎は独特の喜劇味のある人であり、ある意味で鴈治郎本来の芸風に近いと思っているので、これは正しい判断だと勝手に得心しています(そもそも三代目鴈治郎=坂田藤十郎の芸風というのは彼一代のもので、独特のものでしょう)。その二代目鴈治郎の芸を残された映像などで見ると、これぞ鴈治郎だとみょうに納得させられてしまう。やはり鴈治郎は鴈治郎なのです。つまり、理屈抜きで面白い。この「理屈抜きの面白さ」とは、ようするに大阪人の感性に直接はたらきかける面白さでしょう。感性には理屈はいらないのだから。その二代目鴈治郎の自伝が鴈治郎の歳月(文化出版局、昭和47年4月)です。(写真は家蔵本)
2015年6月15日

二代目實川延若の面影‐『延若藝話』



二代目實川延若(屋号・河内屋)といえば、折口信夫博士をして六世菊五郎や初世吉右衛門と並ぶと言わしめた上方歌舞伎の名人ですが、いまではその名さえ知らない者も多いでしょう。そんな延若の面影を今に伝える貴重な文献が、山口廣一氏がまとめた延若藝話(誠光社、昭和21年)です。そもそも歌舞伎とは、役者が演劇に先行する芸術ですから、こういった芸談の価値は大きい。また東京の役者の芸談は比較的多く刊行されているのに対し、上方役者のそれは少ないことからも本書は極めて歴史的価値を有する文献といえます。
(写真は家蔵本)
2015年6月14日

「型」の東西‐片岡仁左衛門『菅原と忠臣蔵』



歌舞伎の「型」の勉強を続けていると、やはり「型」というものは知れば知るほど奥深いものだという感を強くします。ちょっとした「型」の違いが役者の作品解釈の違いとなって表れ、同じ狂言がまったく異なった味わいの狂言となってしまうからです。とくに江戸と上方の「型」の相違が面白い。同じ丸本物でも江戸の型が様式美を追求しているのに対し、上方は写実を特徴とします。どちらが優れているとはいえません。ともに歌舞伎の魅力だかれです。ところが、劇壇が東京に一極集中し、上方歌舞伎が衰退した今日、いわゆる「上方の型」というものに注意が疎かになりがちだ。だから上方の型が「異形」と見なされたりもします。こういう状況に対してときたま劇評などで苦言を呈すひとがおられるが、まったく同感です。近年は上方歌舞伎の復興ということがよく唱えられていますが、そのためには上方式の演出、「型」をファンも注視する必要があるのではないでしょうか。その意味で、ここで紹介する十三代目片岡仁左衛門の菅原と忠臣蔵(向陽書房、昭和56年11月)は貴重な文献です。
(写真は家蔵本)
2015年6月13日

江戸の型、上方の型‐渡辺保『歌舞伎 型の魅力』『歌舞伎 型の神髄』



歌舞伎鑑賞もある程度レベルが上がってくると“型”に関する理解が欠かせなくなってきます。型は役者による作品解釈の表現ですから、長い歴史のなかで踏襲されてきました。役者は型通りに演じることからスタートしますが、やがて“型破り”に挑戦する。そこには作品への新解釈が表現されているわけです。ですから型を理解していないと、歌舞伎の理解が十分にできません。そのため型を記録した本というのは鑑賞の手引きとして欠かせないのです。歌舞伎の型を記録した本は昔からいろいろありますが、いちばん新しいのが渡辺保氏の歌舞伎 型の魅力 (角川ソフィア文庫)でしょう。この本のいちばん良いところは、「上方の型」というものがあるとはっきり断言しているところです。
2015年6月12日

歌舞伎研究の基本図書‐郡司正勝『かぶき 様式と伝承』



いまさら紹介するのも恥ずかしいようなものですが、やはり郡司正勝氏のかぶき 様式と伝承 (ちくま学芸文庫)は、読めば読むほど名著だと思う。初版が昭和29年に僅か500部だけ出版され、それでも永らく歌舞伎研究の基本図書とされてきた本書ですが、現在は文庫という簡便な形で誰でも読めるようになっているのは幸せなことです。
2015年6月11日

折口信夫の郷愁 ‐『かぶき讃』



折口信夫のかぶき讃 (中公文庫)は、著者の歌舞伎への思慕の情が行間に滲み出る名著だと思う。収められた諸篇は、澤村源之助への共感と思慕の念溢るる「役者の一生」。今や伝説の名人・十五世市村羽左衛門を論じる「市村羽左衛門論」。そして、これまた最早忘れられようとしている名人・實川延若を論じた「実川延若讃」等々、戦前の名人たちの面影を紙上に再現する筆致は、読む者をして幻惑させる。だが、もっとも胸をうつのは、防空壕の中で孫を抱いたまま焼け死んだ中村魁車を描く「街衢の戦死者」でしょう。
2015年6月10日

教養としての歌舞伎‐戸板康二『歌舞伎への招待』『歌舞伎の話』



戸板康二は、私の歌舞伎鑑賞の師匠です。といっても、もちろん会ったことはありません。書物を通して、こちらで勝手に私淑しているだけです。それほど歌舞伎への招待 (岩波現代文庫)歌舞伎の話 (講談社学術文庫)には大きな影響を受けました。

四代目鴈治郎襲名披露

大阪の歌舞伎好きにとって、鴈治郎という名跡は特別です。かつて岸本水府は初代鴈治郎を「頬かむりの中に日本一の顔」と詠み、正岡容は初代鴈治郎の死に際して、前年死去した初代桂春團治と室戸台風で倒壊した四天王寺の五重塔と合わせ「春團治と鴈治郞と天王寺の搭と。大阪の三大名物、こゝに氓びたと私はおもつた」と記したほどです。その鴈治郎の名跡が、久しぶりに復活しました。翫雀改め鴈治郎襲名の披露ですから、見に行かないわけにはいきません。

2015年6月9日

口上

この度はブログ「歌舞伎の幕間に」を御高覧いただきまして、誠にありがとうございます。

私が歌舞伎を見るようになって、かれこれ20年近くになろうとしています。以前に別のブログで観劇ノートを公開していたのですが、改めて再スタートを切ることになりました。このブログでは、見た芝居の感想と歌舞伎関係の書籍の紹介を中心に書いていこうと思います。

関西在住なので、関西歌舞伎中心の紹介になるとは思いますが、関西ならではの地味な芝居や役者にも注目していきたいと思います。まったくの素人講釈ですから、いろいろとまとはずれなことも多いとは思いますが、ひらにご容赦を。

ブログ運営者
・ブロガー名:菟道リンタロウ
・住んでいる所:大阪府
・観劇歴:ほぼ20年近くになります。
・職業:メディア関係
・趣味:読書、将棋、歌舞伎鑑賞、古本屋めぐり、飲み会、旅行
・学位・資格:修士(文学)、3級FP技能士、将棋アマ初段
・所属学会・団体:歌舞伎学会、日本文学協会、日本近代文学会、懐徳堂記念会

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