2015年6月16日

鴈治郎は鴈治郎‐中村鴈治郎(藤田洋編)『鴈治郎の歳月』

当代の中村鴈治郎は、どうも父である三代目鴈治郎(現・坂田藤十郎)よりも祖父である二代目鴈治郎を目標としているようだ。当代の鴈治郎は独特の喜劇味のある人であり、ある意味で鴈治郎本来の芸風に近いと思っているので、これは正しい判断だと勝手に得心しています(そもそも三代目鴈治郎=坂田藤十郎の芸風というのは彼一代のもので、独特のものでしょう)。その二代目鴈治郎の芸を残された映像などで見ると、これぞ鴈治郎だとみょうに納得させられてしまう。やはり鴈治郎は鴈治郎なのです。つまり、理屈抜きで面白い。この「理屈抜きの面白さ」とは、ようするに大阪人の感性に直接はたらきかける面白さでしょう。感性には理屈はいらないのだから。その二代目鴈治郎の自伝が鴈治郎の歳月(文化出版局、昭和47年4月)です。
(写真は家蔵本)



二代目鴈治郎という人は、偉大な初代の後を襲ったがために、なんとなく損な役回りを演じたような気がします。だから武智鐵二の本などを読むと、まるで映画での配役さながらの「鴈治郎悪人説」です。でも、二代目もまた「鴈治郎」に違いなかったのです。残された映像を見ると、「河庄」での花道の出、あるいは「沼津」での捨て台詞、その面白さ無類です。なにより素晴らしいのは、舞台上での一挙手一投足、あるいは台詞回しが、すべて観衆の「観るリズム」に対応していることです。つまり、観衆の舞台への注視が最大限になるところで、たっぷりと動きを見せ、台詞に力を入れる。この辺の呼吸が、まさに名人芸でした。

中村鴈治郎(藤田洋編)『鴈治郎の歳月』も、そういった二代目の魅力が詰まった楽しい本。私は、役者の自伝や芸談というのは、その役者の人となりが良く味わえる物をもって第一としたいのですが、その意味でもこの1冊は私の大好きな本のひとつです。例えば、京城に巡業に行った際に知り合った女性との密やかな恋、あるいは竹久夢二のファンであること、菊池寛との交流、などなど好話柄がじつに楽しい。あるいは戦争中の苦労や、その中でヒロポンの味を覚え、中毒になった経験など衝撃的な話もある。でも、そういった暗い話題を語る時にも、そこには一切の「悲惨」といった印象が皆無。これは鴈治郎の芸質を考えるうえでも、重要だと思う。

また、例の「鴈治郎悪人説」のクライマックスである歌舞伎廃業宣言と映画界入りのことも語っているが、これはやはり語り難そうにする。その素直さが、ますます鴈治郎その人の人柄が偲ばれて好感が持てた。ちなみに戸板康二は、これを評して「いい仕事は、いい仕事を生む条件のもとにおいてのみ実現し、その反対の時に鴈治郎が苦悩したであろうことも言外に示されているようだ」(見た芝居・読んだ本)と書きましたが、まったく同感です。

とにかくなにをやっても面白いという鴈治郎の芸風そのままに、どこを読んでも面白い本というのは、本当に珍しい。四代目鴈治郎の登場を機に、そもそも「中村鴈治郎」の芸風とは何なのかを理解しようとするときにも役に立つ1冊です。
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