2015年6月14日

「型」の東西‐片岡仁左衛門『菅原と忠臣蔵』

歌舞伎の「型」の勉強を続けていると、やはり「型」というものは知れば知るほど奥深いものだという感を強くします。ちょっとした「型」の違いが役者の作品解釈の違いとなって表れ、同じ狂言がまったく異なった味わいの狂言となってしまうからです。とくに江戸と上方の「型」の相違が面白い。同じ丸本物でも江戸の型が様式美を追求しているのに対し、上方は写実を特徴とします。どちらが優れているとはいえません。ともに歌舞伎の魅力だかれです。ところが、劇壇が東京に一極集中し、上方歌舞伎が衰退した今日、いわゆる「上方の型」というものに注意が疎かになりがちだ。だから上方の型が「異形」と見なされたりもします。こういう状況に対してときたま劇評などで苦言を呈すひとがおられるが、まったく同感です。近年は上方歌舞伎の復興ということがよく唱えられていますが、そのためには上方式の演出、「型」をファンも注視する必要があるのではないでしょうか。その意味で、ここで紹介する十三代目片岡仁左衛門の菅原と忠臣蔵(向陽書房、昭和56年11月)は貴重な文献です。
(写真は家蔵本)




よく知られているように片岡仁左衛門家は上方役者最古の家柄であると同時に、京・大坂・江戸という三都で活躍することを旨としてきた家です(だから片岡家の正月の雑煮は、一日が京風、二日が大坂風、三日が江戸風となっているらしい)。十三代目もその例外にもれず、東京と上方を股にかけて活躍しました。それだけに江戸の型と上方の型の双方を演じてきた役者です。その十三代目仁左衛門が、丸本物の傑作『菅原伝授手習鑑』と『仮名手本忠臣蔵』の「型」における東西の違いをじつに懇切丁寧に記録してくれているのがこの本です。


しかし、私のような関西の歌舞伎ファンから見れば、この本には単なる記録以上の感慨を抱かざるを得ません。というのも私は所謂「仁左衛門歌舞伎」の顛末を知っているから。そういう事情を知っている関西の歌舞伎ファンからすれば、十三代目仁左衛門は上方歌舞伎の「神」だと思っている。まさに仁左衛門は『菅原』の「菅丞相」です。『菅原』の「大序」で菅丞相は
ここかしこに手習う子供も皆我が弟子
と言います。同じように仁左衛門は、この書の「あとがき」で
話の内容はいささか専門的で一般向きでない趣もありますが、後世何らかの形で、この本が芝居の役に立つことがあれば、この上の喜びはありません。
と書いている。

まさに菅丞相の言葉ではないか。少なくとも、この本によって上方式の「型」が明確に保存できたのです。つまり、仁左衛門を師として私たちは上方の「型」を学べるのです。「ここかしこに手習う(=歌舞伎を見る)子供(=ファン)も皆我が弟子」ということなのです。なお、同様の本に夏祭と伊勢音頭があります。こちらも松嶋屋の家の芸である「夏祭」と「伊勢音頭」の型が詳細に記録されており、重要な文献です。
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