折口信夫のかぶき讃 (中公文庫)
そもそも歌舞伎とは、私たちを非日常の世界に誘うものですが、その役者が戦災死するなどは、あまりに無残ではないか。現実と非現実のギャップが大きければ大きいほど、その無残さは、私の胸を深くうつ。
そして、もう一つ、読む者の胸をうたずにいられないのは、著者の歌舞伎への思いである。「解説」で中村獅童も指摘しているが、折口には、歌舞伎見物などというのは「恥ずかしいこと」であるという少年期の記憶―それは役者がまだ川原者といわれていた時代のなごりである―を濃厚に持っていることです。しかし、それでも折口は歌舞伎を見続けました。それは、あたかも過ぎ去りし少年時代への郷愁を、後生大事に胸に抱いているかのような光景です。
この光景は、やはり私の胸を打ちます。「郷愁」…、それこそ折口信夫という人の、全ての学問、思想、芸術を貫く感情ではないでしょうか。折口は「街衢の戦死者」を次のように締めくくっている。
君の手の魁車を見給え。まだ世に出ぬ青い鳥を、抱きすくめたまま、あの世へ行ってしまったのである
歌舞伎という芸術の中に、必死で「青い鳥」を見ようとした折口の「郷愁」の念、これが胸をうたずにいられようか。