2015年6月21日
のんきな本‐食満南北『作者部屋から』
食満南北といっても、普通の人は誰も知らないでしょう。泉州堺の生まれで、若い頃から芝居にのめり込み、遂には福地櫻痴の門下となり狂言作者となった人です。のちに十一代目片岡仁左衛門の下で筆をふるい、さらに転じて初代中村鴈治郎の座付き作者となるという、いわば明治大正の上方歌舞伎を実地に潜ってきた人といえます。その南北の主著が芝居随想 作者部屋から (ウェッジ文庫)です(よくこんなマニアックな本が文庫化されていたものだと感心します)。
『作者部屋から』は昭和19年に初版が出た著者の自叙伝であり、同時に福地櫻痴、九代目市川團十郎、初代市川左團次ら南北が実際に親炙した歴史的人物たちの面影を伝えるもので、戸板康二の折口信夫坐談(中公文庫)によれば「南北として、これ以上のものは、もう書けない」と、折口博士が折紙をつけた主著です。とくに「仁左衛門は役者は巧いが、芝居は下手である」「鴈治郎は役者は拙いが、芝居は上手である」といった薀蓄あふれる「鴈・仁左比較論」を展開する「片岡仁左衛門」の章は示唆に富む。また、「幕があくまで」の章では役者の仕手勝手に振り回される作者、奥役、興行主などの実態が著者の実体験として綴られ、大時代の芝居小屋の内幕を垣間見れて個人的に大変面白かった。
ところで、今回この本を読んで、もう一つの感慨に襲われました。というのも、この本の初版は昭和19年ですから、まさに戦争末期の非常時に書かれたということになります。だからこそ、再び『折口信夫座談』に拠ると、「よくもこんなのんきな本がいまどき許されたと思うね」という折口博士の感慨が胸を打つのです。
戦時中という非常時に、こんな「のんきな本」が出たということは(また、それを嬉々として読んだ折口博士も含めて)、歌舞伎にとって誇るべきことだと思う。なぜなら、歌舞伎とはあくまで「平時の文化」であるという私の確信があるから。もっというと私は最近、歌舞伎とはフロイト流にいうところの人間の「死への欲動」を抑える「超自我」に基づく文化ではないかという仮説を考えています。歌舞伎に執着する心情こそ「のんき」であり、「不健康」なものです。しかし、それは戦争という「真摯」で、「健康」な人の営みを抑える、治る必要の無い病気(フロイトは、それを「文化」と呼んだ)だと思うのです。
近年、世の中はますます「真摯」で「健康」な題目であふれているのですが、その「真摯」で「健康」な声が、人の「死への欲動」に基づいたものである可能性を私は恐れる。だからこそ、私は「のんきな本」と、歌舞伎という「のんきな、不健康な」芝居に、ますますのめりこむのです。