2015年6月15日

二代目實川延若の面影‐『延若藝話』



二代目實川延若(屋号・河内屋)といえば、折口信夫博士をして六世菊五郎や初世吉右衛門と並ぶと言わしめた上方歌舞伎の名人ですが、いまではその名さえ知らない者も多いでしょう。そんな延若の面影を今に伝える貴重な文献が、山口廣一氏がまとめた延若藝話(誠光社、昭和21年)です。そもそも歌舞伎とは、役者が演劇に先行する芸術ですから、こういった芸談の価値は大きい。また東京の役者の芸談は比較的多く刊行されているのに対し、上方役者のそれは少ないことからも本書は極めて歴史的価値を有する文献といえます。
(写真は家蔵本)

本書を一読すると、さすがに延若は名人だと思わせる芸談の内容に気づかされます。例えば上方和事の代表的な場面に「封印切り」の「口立て」というのがある。これは忠兵衛と八右衛門が口喧嘩をするところですが、そこに決まった台詞がありません。それを役者が即興で継いでいくのが「口立て」です。

こういうアドリブは、役者の、役者としての体力が試されるところ。その上、ここではいかにも上方狂言らしい滑稽さも要求されます。この「口立て」について、延若は「続けようと思へば、いくらでも続けられる」と断言しています。恐るべし。これこそ折口博士が思慕してやまない、上方役者の「土着性」でしょう。そしてそれは、今日ではもう失われてしまったかもしれない「土着性」です。

こういった「土着性」は、今日、例えば当代の鴈治郎や仁左衛門に受け継がれているでしょうか。もちろん私にはそれを直接判断することはできません。しかし、本書を通して浮かびあがる延若の面影に、私が感じたほどの「土着性」を、当代の鴈治郎・仁左衛門、あるいはその他の上方役者に感じることができるかどうか。不安のほうが大きい。それだけに、私は河内屋の芸を直接知らないことを恨む。私にできることは、ただ芸談の中から延若の面影をつむぐことだけです。

そのほか、本書には「古名優を偲ぶ」として、やはりいまや伝説の上方役者たち(例えば、尾上多見蔵、中村宗十郎、市川斎入など)の追憶が収録されている。これもまた歴史的文献です。ことに上方歌舞伎再興が叫ばれる今日、その価値はいっそう高まるといえるでしょう。

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